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Iseikai Renaissance
日本には、民間の中小病院および中小病院チェーンは存在するが、単体としての大型民間病院の 存在は見当たらない。私が病院経営を始めて25年、『病院を治す医者』として「病院規模の拡大」
と「病院改革」に取り組んで来た。病院そのものが病んでいる。病院と社会との溝が広がっている。 戦後システムと戦後文化に裏打ちされた供給者としての体質が問われている。市場の成熟化に伴い、
市場ニーズが急速に多様化してきた現在、民間病院にしかできない新たな生命産業複合体の「場」の 創造を志向しなければ、未来世界での発展は望むべくもない。
私の進める病院改革は、「@供給者の都合で作り上げたシステムを受給者の視点から再構築する、 A自らのすべてを市場に晒して、自らの存在価値を市場に問う」という二大テーマに沿っている。4年ほど前から、市場ニーズを先取りした形で、自らの医療供給体制を再構築するという試みに取り
掛かっている。未来病院の創造に向けてPrototypeの構築を急いでいる。
60年ほど前に誂えた服が、環境の変化とも相俟って、成長した身体にフィットしなくなった。 あらゆる現行制度が病院の進化に制約をかけている。前提を懐疑し、それを乗り越えなければ、出
口の見えない閉塞感に捉われてしまう。現状は誤った制度に従う悲劇に満ちている。
我々は「誰」に対して誠実であるべきなのであろうか?また、「何」に対して誠実であるべきなの であろうか?我々のLoyaltyが患者サイドにあることは論を待たない。
医政の議論は別途必要としても、医療人、特に病院人としてのあるべき姿を問うとき、私は病院 人の誠実さは「知識技術の向上」にあるべきだと信じる。何故こんなことを強調するのかというと、
残念なことに、自らを高める努力もせずに、不平不満を唱え、消化試合をする医師が多く存在して いるという事実を知っているからである。過去の歴史に照らしても、競争環境のない世界で、自ら
の堕落を食い止めることは至難の業である。
一方、我々を取り巻く人工環境は複雑である。 定額診療の導入、外国人看護師の受け入れ、薬剤の一般名処方、混合診療の導入、医療株式化の問
題、等々、難問が山積している。医療社会主義体制を堅持すべきだとする立場のグループ、医療に も資本主義的考え方を導入すべきだとする立場のグループ、喧々諤々の議論が続いている。私の立
場は両者とは微妙に異なる。私は実務家であり病院経営者である。評論家的立場にはない。矢は私 を直撃し、私を苦しめる。医政に関心がないわけではないが、現在の環境の中でベストを尽くすの
が病院経営者としての私の務めだと認識している。三千人を超えたグループ職員の雇用を保証するの も私の務めである。混合診療に関しては、民間保険の加入者が増加すれば、なし崩し的に混合診療
に向かわざるを得ないと想定している。一方、病院の直接的な市場化には懐疑的である。日本人の メンタリティーを考えると、医療法の改正に関する国民的合意を得ることは現状では困難だと私は
判断している。病院そのものを市場化しなくても、病院の周辺ビジネスを市場化することで、手段と しての資金調達は可能だと考えている。多少の手直しは必要としても、現行制度内で可能なプロセ
スである。民間病院の健全な発展を考える時、total Health Care Serviceという視点から、周辺 ビジネスが<幹>、病院が<枝>という主客逆転の発想が環境に適応した形である。第三者評価に
耐えて、市場に打って出る勇気が試される。25年間病院事業を生業として来た者にとって、我フ ィールドが、外部者に侵食されるのを黙って見過ごすわけには行かない。
我々は今、テクノロジーの進化のスピードが現場対応の時間を凌駕する時代を生かされ生きてい る。ハイテク戦争の様相を呈し始めた病院ビジネス、テクノロジーの急速な進化がもたらしたもの、
それは同じ時間帯の中に「ローテク医療」と「ハイテク医療」が混在するという現実である。施設に よる医療質の違いも鮮明になりつつある。医療の社会化に伴い、医療人にはそれぞれの置かれた立
場によって、新たな「社会的役割分担」が求められる。
病院ビジネスはハイテク設備投資産業であり知識集約産業である。それに伴うランニングコスト も上昇の−途を辿っている。近代病院医療は「金喰い虫」である。市場からの快適性の場の要求も
強くなっている。未来資金の必要調達量が一桁違って来た。資金調達量の増大に伴い、個人負債・ 個人補償で成り立つ民間病院の限界も見えて来た。
間接金融から直接金融へ、市場資金を調達する以外に、今後組織を維持発展させることは困難であ る。資金調達能力の差が病院間格差を助長する。
グループ内周辺産業の手段としての上場を視野に入れなければ、激しくなる病院間競争に後れを取 るのは必定である。競争は国内に止まるものではない。好むと好まざるに拘らず、グローバルな世
界での競争に巻き込まれることになる。『医魂商才』、市場資金を受け入れて市場競争を展開する ことと、医師としての魂を売り渡すことは別の次元の問題だと私は考える。医療と経済の両立は経
験的に可能である。「本物」とはそういうものだと確信している。短期間、市場の目を欺くことは出 来ても、長期に渡って市場を欺くことは出来ない。
雪印問題、産地偽装問題、等々を例にとってもわかるように、市場はそれほど愚かではない。それ が成熟した民主主義社会だと私は考える。
私の経験では、医療機関は長い期間に亘り「宿り木症候群」という悪性の消耗性疾患に羅患して いる。更に、医療界では「ボスニア現象」が頻繁に出現する。我々医療人の持つ悲しい属性である。
「宿り木症候群」「ボスニア現象」により医療機関は疲弊している。この場合、強力なリーダーシッ プと運命共同体意識が特効薬である。
私は絶えざる病院改革を通じて多くのことを学んだ。そして現在、考え方次第、やり方次第で、 旧態依然とした病院組織を近代的組織に変貌させることは十分に可能だと確信している。では、未
来世界の中で医師はどうあるべきなのだろうか? 無知による盲信、情報格差の中で得た尊敬と信頼「20世紀の赤ひげ」像から、患者中心のチーム医
療を率先し、すべての情報を開示した上で市場の信頼を勝ち取る「21世紀の赤ひげ」像へと意識の 進化が求められる。自らに投資をし、自らを磨き、自らを高める不断の努力が重要である。甘え、怠
惰、独善、倣慢という観念群が生み出すもの、それは退廃へと続く道である。暖昧で、混沌として、 不条理なこの世界に於いて、自らの理想を持ち続けることが人としての誠実さであり力なのだと私
は信じる。
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